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チャイコフスキー国際コンクールに挑む② 潮田益子と佐藤陽子

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生きよ、そして記憶せよ、あの音を

「第2回チャイコフスキー国際コンクール」ヴァイオリン部門が行われた会場の客席で、ひとりの留学生が久保陽子の演奏に熱心に耳を傾けていた。

彼女も日本人である。20歳になったばかりで、レニングラード(現在のサンクト・ペテルブルグ)からこのコンクールを聴くためにモスクワに来ていた。

当時、レニングラード音楽院の留学生だった潮田益子だ。

桐朋学園の後輩である久保の活躍を見て潮田は、「次は自分もこのコンクールに参加しよう」と心に決める。

4年後の第3回大会(1966年)、潮田は見事、第2位を獲得する。

久保より1つ年上の潮田は小野アンナ門下。幼少時から村山信吉門下の久保とは合同発表会等で顔を合わせ、腕を磨きあった仲である。その後、桐朋学園に進み、斎藤秀雄、ジャン・イスナールに師事と、久保と同様の道を辿っていく。

高校卒業後すぐにレニングラード音楽院に留学し、ミハイル・ヴァイマンに師事した。

すでに「エリザベート王妃国際」で入賞、その後のアメリカでの演奏活動など、国際舞台で十分に経験を積んだ潮田にとって、第3回大会に臨む段階では、すでに「壁」のほとんどは乗り越えられていたはずだ。

コンクールの会場にはレニングラード留学時代の先生や友人が応援に駆けつけていた。本選の協奏曲で共演するオーケストラの指揮者は、留学中にエストニアのタリンで一度共演したことがあるネーメ・ヤルヴィであった。

この1966年の第3回大会では、もう一人日本人が第3位を獲得している。

佐藤陽子である。

佐藤はこの時、16歳。日本ではまだ高校生の年齢ということになるが、彼女はすでに7年前、わずか9歳で日本を離れ、「鉄のカーテン」のこちら側に来ていた。

(写真:コンクールの予選会場となる現在のモスクワ音楽院小ホール photo by shakko

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 ヴュータンは壮大なスタイルで書きました。その音楽はどこをとっても豊かでよく響くものです。自分のヴァイオリンをよく鳴らそうと思うなら必ずヴュータンを弾いてほしいですね。

ウジェーヌ・イザイ(List

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