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形式・調性・和声・・・それより結局「弾けてナンボ」の世界?

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曲とエチュードの落差が激しすぎる

音高生の試験が終わると、3週間足らずで夏期講習がやってきます。

この頃の傾向としては、音楽教室の生徒でも曲は上手く弾くものの、エチュードとの落差が激しすぎることです。

これは音楽的には何も分かって弾いていない、ということなのですが、例えばそれは「学生音コン」を聴いていても完全には露わになりません。それが逆に、「学生音コン」の地方大会で入賞歴のある生徒でも入試で落ちる、という結果に現れてきているとも言えるのです。

入試で落ちた場合、緊張して止まってしまった、音をはずしてしまった、それにしても厳しい、と本人も保護者も共に嘆くのですが、音をはずしても止まっても、「それだけでは」落ちません。

そうした事故は良くあることで、それ以前にその曲、そのエチュードで音楽的に何をやろうとしていたのかが問題となります。

ただやみくもに滑らかに弾くことだけを目標にやってきたのでは、「え、音楽ってそうじゃないでしょ? そんな安易なことで専門家になるつもりなの?」という評価になるのです。

実技の評価が低い場合は、まず音楽性を疑うべき

夏期講習では実技試験のランクがわかります。

自分で思ったよりも評価が低い場合は、「かすれた、止まった、音をはずした、ワンボウが出来なかった」等々の表面的ミスよりも、まず「形式、主題とその展開、調性、和声とその転換、終止」等々を分かって弾いているか、それが音に現れているかという音楽性を疑うべきです。

小難しいソルフェージュ、新曲視唱、楽典をこなせても、それが実技に結びつかないことには一文の値打ちもありません。

問題のひとつは、そうした実技を体系的に教えられる若手指導者が極端に少ないことであり、また音大卒業生を含めた保護者がそれに何の疑問も抱かないことです。

「弾けてナンボ」に安住していると・・・

「そんな難しいことよりも結局弾けてナンボの世界でしょ」との風潮が強すぎます。

「弾けてナンボ」自体にもそれこそピンからキリまでのレベルの差が存在するのですが、それがCDを真似てそれらしく聴こえればいい、程度の処に安住してしまっています。

それゆえに音楽的に色々表現しようとした不器用な演奏をおとしめる耳しか持てなくなってしまっていて、結果的に教授陣は夏期講習でも大量の「15過ぎたらただの人」予備軍の演奏を聴く破目に陥ってしまいます。

実技の教室では本番の入試と同様に志望校の担当教師が並んで演奏を聴きます。そこには「あんなに頑張ったのだから」「何時間も練習して」「小さい身体で」「病弱なのに」「2年で転向して」等々の音楽外の判断は入りません。

専門家を育てる学校の入試では、専門家の判断が働きます。

その判断基準を生徒と指導者が共有しているかどうか。夏期講習を機に再認識して頂きたいと思います。

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photo credit: Andrew Aliferis via photopin cc

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 ヴュータンは壮大なスタイルで書きました。その音楽はどこをとっても豊かでよく響くものです。自分のヴァイオリンをよく鳴らそうと思うなら必ずヴュータンを弾いてほしいですね。

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