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「楽譜を見る眼」を養う

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作曲家がつけた記号か、編者がつけた記号か

専門家を目指す意思が固まったら、楽譜を見る眼を少しづつ養っていきたいものです。

ここでいう「楽譜を見る眼」とは、ガラミアン版なりフランチェスカッティ版なりを見たときにスラー、弓使い、指使いが作曲家がつけたものか、編者がつけたものか、また編者がつけたものならそれがどういう意図でつけたものかを判断する眼のことです。

このうち作曲家がつけたものは、基本的に守らなければならない、あるいはどうしてそのような記号がついているのか理解できなければなりません。

原則として、作曲家がわざわざつけたアクセント記号、スラー、スフォルツァンド等々は、それまで続いてきた音楽の流れが変化するサインです。

本来ならつけるべきではないところについている記号だと疑ってかかって、作曲家がそこにその記号をつけた理由を考えてみるべきです。

厄介なのは編者がつけたもので、「作曲家の意図は分かっていて、しかし演奏効果上の理由から故意に変えている」場合です。

上げ弓が下げ弓に変わっている場合は編者が次の弓を考慮して変えており、しかし自分は下げ弓でも上げ弓で表現しなければならない音楽を表現できるからこうしたとか、スラーが短くなっている場合は弓に余裕がなくなるから短めに返すが、自分はたとえ弓を返しても一息に繋げて弾けるからOKである、などといった編者の個人的事情が絡んでいることが多いものです。

原典版やスコアにあたる意義

これを元の音楽を知らずに校訂版を鵜呑みにすると、切るべきところで切らず、繋げるべきところを切る、「明日は、いよいよ」という文章を「明日、はいよいよ」と読み違えるといった奇妙奇天烈な間違いを犯すことになります。

これを防ぐには原典にあたるしかありません。

協奏曲なら、パート譜、ピアノ譜だけではなく、ミニスコアを買い求めて校訂版とつき合わせてみることです。スコアは大体において作曲家の指示のみが書いてあります。

パート譜だけ見ているから表面の字づらに惑わされるのであって、スコアはソロヴァイオリンがどのパートを受けて弾いているのか、ソロとオケが同じリズム・同じ和声で動いているのか、それとも違うのか、どこで違ったのか等々、数多くのヒントが転がっています。

ジュニアオケの経験が後になって生きてくる、と以前書いた理由のひとつは、この「スコアを見る」経験が早いうちからできる利点もあるからです。

「自分はオケマンにはならないからスコアなんて関係ない」と思っているのなら、それは自ら専門家への道を閉ざしてしまうことに他なりません。

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photo by Jorge Roya

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 ヴュータンは壮大なスタイルで書きました。その音楽はどこをとっても豊かでよく響くものです。自分のヴァイオリンをよく鳴らそうと思うなら必ずヴュータンを弾いてほしいですね。

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