
ピアノ指導者との相性が良く、上達の度合いも速く、やる気も出てきた。あれよあれよと言う間に、ヴァイオリンとピアノの「二刀流」に。
学校ではピアノ好きの子が集まって、休み時間を利用して演奏会ごっこ。そこでとびきりピアノが上手な子と意気投合し、マニアックな話で盛り上がって、とても楽しいと言っている。
例えばスタインウェイのピアノがどこそこで弾けるとか、移調して弾いてどうのこうのとか、作曲家は誰が好きとか・・・
「ピアノのほうが楽しい」と言い出したヴァイオリン学習者。
どうしたものかと悩む親からの質問に答えて。
“コテンパン” がないから好きになれる
小学校低学年のネコも杓子も状態とは違い、高学年、中学校ともなるとピアノが弾ける子は限られてきます。
弾ける子は、合唱時の伴奏、合奏時のピアノパートを巡って名前が挙がり、互いに存在を認め合うようになります。
そうなるとピアノは貴重な友人とのコミュニケーションのツールと化しますから、自然に熱も入ります。
学校の友人はいくら上手くても、耳は所詮素人です。おまけにピアノの場合は指導者も第二楽器だという頭がありますから、テクニックにしても解釈にしても徹底的には詰めません。
平たく言えば、コテンパンにボロクソにはけなされない、ということです。
これに対して第一楽器たるヴァイオリンの場合、「音高受験も視野に入れたらこの時点でここまでは弾けなくては」という思いがありますから、指導者のボロカス度合いには相当熱が入ってきます。
ヴァイオリンはピアノより単純?
生徒のほうは、「ピアノはこんなに楽しいのに、皆にも誉められるのに、どうしてヴァイオリンに関してはこれだけガンガン言われるのか?」と不満がたまってきます。
それに頭のいい子の場合は、ヴァイオリンは「旋律楽器で音楽も単純、ピアノの方が複雑でおもしろい」などという台詞も吐いて見せます。
ここで指導者の力量が露わになりますし、本人の楽器の好みもはっきりしてきます。
本当に力のある指導者なら、常日頃からピアノパートを見てヴァイオリンを弾くように指導しているはずです。
これを何年もやってきた生徒はピアノも相当うまいはずですが、決してヴァイオリンがピアノより単純な楽器だとは考えないでしょう。
自分自身でヴァイオリンを選び取る
確かに始めはヴァイオリン主体でやってきた人が、途中でピアノに転向する例はあります。
古くはミケランジェリが弦と声楽からピアノに転向していますし、ティボー兄弟もスタートした楽器を途中で取り替えています。
しかし、こうした真剣な転向とは違って、ピアノに惹かれる上の例は思春期によくある現象ではないかと思います。
だんだん周りが見えてきて、周りにも認めてもらいたい、音楽を通じて友人を得たい。そんな気持ちが募ってきているからでしょう。
何事も、もう一段高いレベルに行こうとするなら、当然のごとく厳しい努力が要求されます。
その苦痛を、ピアノに惹かれることで無意識的にでも避けようとする心理はよく理解できますし、音楽を楽しんでいるという点で言えば、それはそれで問題はないでしょう。
ここから先は、生徒本人が第一楽器であるヴァイオリンと真摯に向き合い、より高いレベルに踏み出すかどうかを、自ら選び取っていかなくてはなりません。
保護者の方も自分自身をよく振り返ってみてください。
周りの大人にできることは、じっくりと待つこと、そして自分自身の人生に対する姿勢を見せていくことではないでしょうか。

























