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「楽しい」と「上手い」が両立できるのは、ほんの一握り

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真剣に取り組む日本人、のんびりと楽しむ外国人

音楽に限らずすべての分野に当てはまることですが、海外では僅か数%の非常に優秀な層とそうでない層が明確に分かれていますが、日本の場合はこの2つの間にかなり厚い中間層が存在しています。

現在はかなり崩れてきてはいますが、たとえば識字率、計算能力といった基礎学力が平均的にこれほど高いレベルにある国はそうありません。

いきおい音楽でもその他の分野でも、日本人は指導者の言うことを忠実に守り、よく練習する。こうした子供たちが海外に出ると、練習もろくにしない子供たちに慣れた向こうの先生が驚愕の目を見張り、可愛がるようになるのはよくわかります。

ただし、海外でも本当のプロになろうという一握りの子供たちは、小さい頃から過酷とも言える練習を積んできています。

音程の甘さの矯正など言うに及ばず、呼吸法まで厳しく仕込まれ、日頃どんな練習方法をとればいいのか、短期間にどれだけ曲を仕上げられるのか、自分でどんなプログラムを組んでいけるのかを自分で考えさせたりもします。

海外では演奏の機会が数多く与えられるのも、将来の演奏家生活の準備のためです。

一方、その他大勢の子供たちはのびのびと、というよりのんびりと学校生活の一環として音楽を楽しんでいます。

その中に日本人が入ると、その勤勉さ故に簡単にリーダーシップを取れるようになりますが、それはあくまでも趣味の範囲内であることを忘れてはなりません。

一握り以外への批評は無用

海外では大勢の人がプロとの違いをはっきりと認識した上で、気楽に室内楽などを楽しんでいます。日本人が聞けばあまりの不協和音やリズムのひどさに唖然とするような演奏でも、本人が楽しければそれで構わないのです。

ところが日本人はその勤勉さが災いしてか、教えるほうも習うほうも、「やるからには上手くならなければ!」という呪縛でがんじがらめになっています。

指導者は「海外からの帰国組は親も子も基礎がなに一つ出来ていないのに天才だと思っているから教えにくい」と愚痴をこぼし、生徒の側は「上手くならないのは日本の先生の教え方が悪い、向こうでは先生もあんなに褒めてくれて楽しくやって上達していたのに、やっぱり日本人の先生は駄目」と憤慨したりもしますが、どちらもどちらです。

音楽に限らずどの分野でも、「楽しい」と「上手い」が両立できる子は、ほんの一握りにすぎません。この当たり前の真実に気づくべきでしょう。

日本で子供の演奏の場が少ないということは改善されてしかるべきでしょうが、これについても同学年の親子があら捜しのために聴きに集まるという風潮は何とかしたいものです。

そのためにはまず、「楽しんで弾いている子には批評は一切しない」とのコンセンサスが出来ることが前提となるでしょう。

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photo credit: Sinfonia via photopin (license)

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 弦だとか弓の毛だとか、そんなことを意識しているようじゃだめなんだ。ヴァイオリンは弾くものじゃなく、歌うものだ。

レオポルド・アウアー(List

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