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チャイコフスキー国際コンクールに挑む③ 神尾真由子

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ファイナル最終日、チャイコフスキーの協奏曲を演奏する彼女の眼に、涙が浮かんでいるように見えたのは錯覚だろうか。

彼女は、常にエリートとしての道を歩んできた。その足跡は、一見、順風満帆に見えるが、栄光の陰には、実力者故に人知れず流してきた涙もあったはずだ。

コンクールファイナルで使用されるモスクワ音楽院大ホール photo by Macs24

小4で「学生音コン」全国大会優勝

それは、16年ぶりの快挙だった。

予選はクライスラー:前奏曲とアレグロ、本選はモーツァルト:協奏曲第3番第1楽章。

この年、1996年の「第50回全日本学生音楽コンクール」全国大会・ヴァイオリン部門・小学校の部を制したのは、大阪・豊中市の小学4年生であった。

1980年に優勝した二村英仁以来の、小学校の部の最小学年(小4)による全国大会制覇。

1969年第23回大会の加藤知子は小6、73年第27回大会の千住真理子は小5、77年第31回大会の竹澤恭子は小5、79年第33回大会の戸田弥生は小6、94年第48回大会の庄司紗矢香は小6で、それぞれ全国大会に優勝している。

技量や心身の発達度合い、とりわけ分数からフルサイズへの楽器の転換時期が絡み、明らかに高学年が有利と思われるヴァイオリン部門小学校の部での、最小学年による優勝がいかに至難の技であるか。

つまり、最小学年にして、その技術と音楽性と音量によって、並み居る上級学年の「お兄さん」「お姉さん」を凌駕し、全国制覇を成し遂げる才能がいかに類まれなものであるか。

この快挙以降、現在に至るまで、ヴァイオリン部門全国大会での小4の優勝者は一人も出ていない。(2014年時点)

コンクールに挑み続ける

「学生音コン」最年少優勝から2年後、今度は海外コンクールに挑む。

1998年、「メニューイン国際」ジュニア部門に最年少の11歳で入賞。

2000年、ドロシー・ディレイの指導を受けるべく、ジュリアード音楽院プレカレッジに留学。しかし、すでに晩年にあったディレイからは、十分な薫陶を受けることが叶わなかった。

それでも2000年には、米国のヤング・コンサート・アーティスツの国際オーディション(54カ国から422人が参加)で第1位を受賞。アメリカ各地でリサイタルを行う。メジャー・オケとの共演など国際的なキャリアも重ね、彼女はすでに15歳にしてソリストとして一定の評価を確立するに至った。

しかし、ヴァイオリニストとしての精進、技術と表現への飽くなき追求は、彼女の中で決して止むことはなかった。

多くのコンテスタントが目指すもの、つまり入賞実績を国際舞台での活躍の足がかりにする目的だけなら、彼女にとってコンクールを受ける意味はあまりなかった。

むしろその地位から言えば、早々に結果が出ない場合は、リスクが伴うことは目に見えている。どのような実力者にとっても、やはりコンクールでは何が起こるか分からない。一回性の魔物である。

しかし彼女は、コンクールへの挑戦をやめなかった。

モスクワは涙を信じる

「01年ヴィエニャフスキ国際」では第4位。2002年に帰国後は、桐朋女子高校の特待生となる。その後、周囲の反対を押し切ってチューリッヒへ留学。

そこで幾多の国際コンクール優勝者を輩出してきたザハール・ブロンの指導を受けることになる。

そして「04年モンテカルロ・ヴァイオリン・マスターズ」と「04年オイストラフ国際」で優勝。

ところがメジャー・コンクール制覇への第一歩、満を持して臨んだはずの「06年モントリオール国際」では、第5位と涙を呑むことになる。

1位を獲りに行ってその通り目的を成就するというのは、いかにも至難であり、逆に達成出来なかった時のショックは相当に大きい。しかし、結果が出るまで、とにかくコンクールを受けることをやめない-彼女はそう心の中で誓ったのだろうか。

そして挑んだ、2007年、「第13回チャイコフスキー国際コンクール」。

神尾真由子は、まるでコンクールであることを感じさせず、躍動した。

彼女はコンクールへの挑戦を、評価という物差しを越える何物かを獲得するための試練の道だと思い定めていたのかもしれない。

流した涙は、決して無駄ではなかった。

「これからも自分が自分であり続けつつ、偉大な奏者になるよう最善を尽くしたい」
(神尾真由子~記者会見の言葉より)

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 弦だとか弓の毛だとか、そんなことを意識しているようじゃだめなんだ。ヴァイオリンは弾くものじゃなく、歌うものだ。

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