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130年前のスーパー天才シスターズ

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1879年(明治12年)に文部省内に設立された「音楽取調掛(おんがくとりしらべがかり)」から、日本のヴァイオリン教育は始まった。

幸田露伴の妹、幸田延(こうだのぶ)が、お雇い外国人講師ルーサー・ホワイティング・メイソンにその才能を認められて、「音楽取調掛」に入学したのは1882年(明治15年)。幸田延12歳の時であった。この当時の天才少女は、専攻のヴァイオリンに留まらず、ピアノ・作曲でも輝かしい才能の冴えを遺憾なく発揮した。

幸田延は、3年後に15歳で卒業。その後、4年間研究科に属しつつ、教員助手も務めた。「音楽取調掛」はその後「音楽取調所」に改称。さらに、1887年(明治20年)にはそこを母体に東京音楽学校が設立された。

1889年(明治22年)、幸田は19歳で第1回官費留学生として1年間ボストンのニューイングランド音楽院に、その後5年間ウィーン音楽院に留学し、ヴァイオリンや和声学を究めた。

幸田の帰朝報告演奏会は、1895年(明治28年)。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調第1楽章であった。

しかしながら、当時突出した音楽的才能を有した幸田延と、その妹で、やはり留学してベルリンでヨーゼフ・ヨアヒムに師事した安藤幸(あんどうこう 旧姓:幸田幸)らを除けば、明治20~30年当時の日本ヴァイオリン界は、現代で言えば小学生の「おけいこ」レベルで、東京音楽学校卒と言っても、極めて初歩的な教育しか受けていなかったようだ。

幸田姉妹は、日本の洋楽教育の黎明期に現れた天才姉妹として、ヴァイオリンだけでなく、ピアノ・作曲・声楽の分野でも西洋音楽を貪欲に吸収しようとする、言わばパイオニア的存在だったと言える。

ヴァイオリンの全体的なレベルはともかく、その最前線の開拓者は「女性」であり、現代の中学生くらいの学齢から専門的な音楽教育を受けた「神童」たちであったのだ。

女性と子供が低位に置かれた当時の一般的風潮から考えて、これは極めて特異なことだった。

photo by 663highland

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 弦だとか弓の毛だとか、そんなことを意識しているようじゃだめなんだ。ヴァイオリンは弾くものじゃなく、歌うものだ。

レオポルド・アウアー(List

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