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「学生音コン」の思い出-バッハ: ガヴォット

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予選3日前に、糸巻きが折れてしまった

1956年(昭和31年)10月4日、「第10回全日本学生音楽コンクール」東日本大会・小学校の部の予選が3日後に迫っていた。

予選課題曲は、バッハ:無伴奏パルティータ第3番 “ガヴォット”。

弦を替えている時に、無理な力が加わってしまったのか、4分の3の楽器の糸巻きが折れてしまった。

出場はとりやめたほうがいいのでは、と思ったが、先生が替わりの楽器とそれに合う弓を持って上京して来られた。

「よう弾けとるから、この通り弾けば大丈夫。今晩も明日の朝も練習せんと、ヤマハホールでこの通り弾くんや。常日頃よーく教え込んであるさかい、きっと弾ける」(※1)

10月7日、予選当日。

「呼び出し時間」は、10時40分だった。

10時少し前に、ヤマハホールに到着。

楽屋からは幾つもヴァイオリンの音が聞こえてくる。バッハのガヴォットを軽快にすいすい弾いている。

「僕のはあんな音楽じゃないんだ」

そう自らに言い聞かせて、ロビーの片隅で軽く指慣らしをした。

簡単なウォームアップの後、出番が来た。

母に連れられて、舞台中央へ。お辞儀をして、左45度に向きを変えて、弾き出した。

ところがである。二つ目の音を弾く上げ弓が逸れて、音が掠れてしまった。力が入り過ぎた結果である。しまった、と思った瞬間私は弾くのを止めていた。そしてすぐ、最初の音から弾き直した。ほかの人たちとは違う、テンポの遅い重めのガヴォットである。弾いていた私は、曲が恐ろしく長いものに思えた。客席が何となくざわついている。私の演奏に興味を失った聴衆の心が次第に離れていくように感じられた。ささやかな拍手を受けて袖に下がったとき『落ちたな』と直感した。(※2)

※1)和波その子著『母と子のシンフォニー』P215 「先生」は辻吉之助先生。

※2)和波孝禧著『音楽からの贈り物』P143

翌年、中学校の部で再挑戦

翌1957年(昭和32年)、「第11回全日本学生音楽コンクール」東日本大会・中学校の部の課題曲は、予選がラロ:スペイン交響曲第1楽章、本選が同第4・第5楽章であった。

1月から師事している鷲見三郎先生は、「受けてごらんなさい。大丈夫でしょう」と仰った。

10月6日の予選は無事通過。

本選が近づくと、鷲見門下で本選に進んだ5名で、午前中にヤマハホールを借り切って「舞台稽古」が行われた。

一人ずつ演奏しては、客席の先生からご注意を受ける。これは、まさに本番以上の緊張感であった。この舞台稽古では、ホールの音響をよく知ることが出来たうえ、ライバルたちの演奏が聞けたのも大きな収穫だった。(※3)
十一月九日の本選は三位に終わった。鷲見先生が大そうよくできたとほめてくださった。そして『今年はうまい人が何人もいたから三位だが、例年ならあれだけ弾ければ一位になれますよ』となぐさめてくださる。審査員の方々が『一年間の進歩は大したもの』と感心しておられたとも聞かせてくださった。(※4)

※3)和波孝禧著『音楽からの贈り物』P153

※4)和波その子著『母と子のシンフォニー』P235~236

photo credit: mitch98000 via photopin cc

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 弦だとか弓の毛だとか、そんなことを意識しているようじゃだめなんだ。ヴァイオリンは弾くものじゃなく、歌うものだ。

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