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小学生にバッハの無伴奏を弾かせることについて

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「学生音コン」バイオリン部門の小学校の部の予選課題曲がバッハの無伴奏になるたびに、いつも考えさせられる。

こんなことは、コンクールの世界では当たり前になっていることで、何を今更、青臭いと思われるかもしれないが、やはりいつも考えさせられるのだ。

ヴァイオリン音楽の金字塔。崇高にして深遠なる神の領域にある音楽。「学コン」の課題曲になるのは、そんなバッハ無伴奏のうちのほんの1曲(パルティータ第3番「プレリュード」や「ガヴォット」)に過ぎないのだけれど、やはりバッハはバッハである。

それを、技術的には「弾けるかもしれない」からと言って、10歳くらいの少年少女に弾かせて、しかもその演奏内容によって選別をする。

選別のためなら、学習者向けのエチュードがあるのに、何故、バッハなのか?

「この惑星の『学コン』と呼ばれるコンクールは実に過酷だ」と、宇宙人でなくても呟きたくなるのである。

無論、聴く方は、エチュードなどよりバッハがいいに決まっているのだけれど・・・

これから各コンテスタントがもし演奏家の道を行くことになるのなら、バッハ無伴奏パルティータ第3番「プレリュード」は、それこそ何回も何回も弾くことになり、そして恐らくは、その完成はないのかもしれない。

「80歳を越してようやくバッハがわかってきた。」( チェリスト 青木十良氏

そんな、演奏家が終生かけて挑み続ける曲の、今はまだ筆下しの段階の演奏である。

この先は、とても長い。

予選通過した人も、惜しくも涙を飲んだ人も、今のバッハの演奏のままで、留まっていることは決してありえない。

そうだ。

まだまだ、「バッハのようで、バッハではない」段階なのであるから、その習作において、審査されて、優劣がつけられることに、さほど意味はないとも言えるのではないか・・・

課題曲発表から4か月余りに渡った各コンテスタントの格闘の軌跡に、客席で思いを馳せつつ、私の頭の中は、「何故、小学生のコンクールで、バッハなのか」という問いが延々と駆け巡り続けたのであった。

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 ヴュータンは壮大なスタイルで書きました。その音楽はどこをとっても豊かでよく響くものです。自分のヴァイオリンをよく鳴らそうと思うなら必ずヴュータンを弾いてほしいですね。

ウジェーヌ・イザイ(List

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