Violinear

スポンサーリンク

コンクール感動秘話:「少年と弓」

2_medium_4487258486

善意のバトン

その直後、舞台に現れた少年は、何事もなかったかのように、同様のテンションと完成度で会場をバルトークの世界に引きずり込み、演奏を終えた。

弓は完全に少年と一体化していた。

万雷の拍手の中、誰もが少年の勝利を確信した。あのアクシデントがあって演奏が中断したとしても、いや、あのアクシデントがあり、それを乗り越えた演奏であったからこそ、音楽は一層の輝きを増し、会場内の感動は頂点に達していた。

舞台袖に引きあげてきた少年に、青年は手を差し伸べた。

「ありがとうございます」と少年は言った。

ヴァイオリンにしても弓にしても、通常、他人が所有している物を借りて弾くということは、よほどのアクシデントでもない限り稀である。コンクールのコンテスタント間ともなれば尚更で、ふつう貸し借りなどできるような状況ではない。

それは舞台袖の係員も、青年も、少年もよく承知していた。

それでも尚、あの稀に見る演奏を無駄にしたくないという係員の強い思いが、暗黙の制約を打ち破るとっさの一言の依頼を導き出したのだ。

その一言に、これまた、とっさの快諾で応えた青年。

そして、その瞬時に交わされた善意のバトンを受けて、見事にショックから立ち直り、演奏を完遂させた少年。

日本音楽コンクール史上の奇跡の名演がそこに生まれた。

1984年第53回日本音楽コンクール・ヴァイオリン部門は本選出場9名中、最年少の15歳、東京都杉並区立大宮中学3年生の奥村智洋が第1位。本選出場者中、最も印象的な演奏に贈られる「増沢賞」、及び「レウカディア賞」「黒柳賞」も受賞した。

奥村は、その日本音コン史上でも語り草となっている名演バルトーク・ヴァイオリン協奏曲第2番で、「超ど級の演奏」「10年に1人の逸材」との圧倒的な評価を得た。

演奏中突然のアクシデントに見舞われた彼を自らの弓で救ったのは、同じ本選出場者のライバルである、東京芸術大学3年生、21歳の松原勝也。

奥村智洋はその後、高校を卒業して米・ジュリアード音楽院に入学。92年カール・フレッシュ国際ヴァイオリンコンクールに入賞。93年ナウムバーグ国際ヴァイオリンコンクールに優勝し、全米各地でオーケストラと共演。94年リンカーン・センターのアリス・タリーホールで行われたリサイタルは、特にバルトークの演奏について、ニューヨークタイムズ紙上で絶賛された。日本でもN響、読売日響、新日本フィルなど有力オーケストラと数多く共演している。

松原勝也はその後、東京芸術大学を卒業。クライスラー国際ヴァイオリンコンクールに入賞。89~99年新日本フィルのコンサートマスターを務めた。ソリストとして、新日本フィル、東京フィル、オーケストラ・アンサンブル金沢などと共演。00~03年「さいたまアーツシアター・クワルテット」、01年からの「第一生命ホール・若手演奏家のためのアドヴェントセミナー&コンサート」など多岐にわたる活動で知られ、最近ではジャズ・ピアニストの山下洋輔とも共演している。現在、東京芸術大学音楽学部教授。

※「少年と弓」は、「第53回日本音楽コンクール」本選で実際にあったエピソードに基づくフィクションです。文中の敬称は省略致しました。

photo credit: David Ashford via photopin cc

スポンサーリンク
 ヴュータンは壮大なスタイルで書きました。その音楽はどこをとっても豊かでよく響くものです。自分のヴァイオリンをよく鳴らそうと思うなら必ずヴュータンを弾いてほしいですね。

ウジェーヌ・イザイ(List

スポンサーリンク
Return Top